新幹線殺傷事件で、犯人に立ち向かい1人の男性が亡くなられましたが、周りにその男性を援護する人はいなかったのか。


そういう類いのツイートが一部騒ぎとなっているようですね。


炎上(あまり好きではない表現ですが。特に人命が関わるような場合には)によって、ツイートを削除するケースも出ているようです。


個人的には削除する必要はないんじゃないかなと思います。


亡くなられた男性の行動が勇敢であったと思うのは恐らく総意として、その命を無駄にしない為にも、社会として個人として、今後何が出来るか。どうすべきか。


節度を持ってそれを議論するのは、悪い事ではないと思うからです。


そしてこのような議論はあくまで議論であって結論は出ないと思います。


様々な意見を出し合うことに意味があると思うのです。


議論によって、期限を設けて何かを明確に決めなければならない訳でもありません。


この痛ましい事件において、今後具体的に何か決め事を出来るのは司法だけだと思います。


が、具体的に何かを決める事は出来なくても、一人一人が感じ考える事は、直接的ではなくても社会の成り立ちに多少なりとも影響するんじゃないかなと。


ツイートした人がどういう意図をもって書いたのかは、文脈にもよるのでわかりませんが、自分がそう感じたのなら消す必要はないんじゃないかと思いました。


表現にもよりますが、仮にそれが、援護しなかった周りの乗客を責める内容だったとしても、そう感じる人がいるという事も1つの事実である訳で。


それに対し、その場にいもしなかった人間が、安全な場所からなら何でも言えると批判する意見があるのもまた事実で。


その先に何が見えるかはわからないけれど、意見を戦わせる事は無意味な事ではないと思います。


が、個人的には、議論をする上で、というか議論という形式じゃなくて普段の会話でも、経験していない人は黙ってろという考え方はあまり好きではありません。


何事も経験者の方が説得力があるのは間違いないと思います。


が、今までそう思っていたけれど実際経験してみたら違っていたとか、経験はあくまでも自分比で捉える方が私はしっくりきます。


経験者以外語るなというのは、視野が狭く、やや排他的に感じてしまいます。


特に今回のような社会問題を語る上では、そこにいなかった者は黙っておれというのには違和感を覚えます。


私はツイートのように思う人がいても不思議はないなと思いました。


個人的には、援護しなかった乗客を責める事は出来ないと思います。


もし責める事が出来る人がいるのなら、強いて言えばそれはその人自身だけだと思います。


何も出来なかった事に対して仕方がないと感じる人もいれば、悔やむ人もいるでしょう。


仮に悔やんだのだとしたら、その人だけが自分を責める事が出来るのだと思います。


なので、責める事は出来ないという意見に賛同します。


が、モヤモヤするな。。。と感じた事もあります。


周りの乗客は責められないという理由として、凶器を振り回している人間に、例えば訓練された警察官などでも丸腰では難しいとか、人の心理として恐怖で動けないとか、客観的に挙げられているものには同意しました。


が、中には主観的なものもあって、自分の夫だったら息子だったら、正直助けないで逃げてと思ってしまうと。


自分だったらと想像するのは自然な事で、真剣さの表れなのかもしれませんが、私は少しチクリとしました。


今回お亡くなりになった男性は、紛れもなくどなたかのご主人であり、息子さんであるからです。


そして人を助けて亡くなりました。


そういう夫、息子を持ったご遺族が存在するのです。


逃げなければ自分の家族は誰が守ってくれるのかというものもありました。


確かにそうです。


が、本当に咄嗟の行動だったんだと思います。ご家族を守るとか考える暇はなかったんだと思います。


無心だったんじゃないかな。


そういう方なのだと思います。
その方の持つ人間性そのものなのだと。


他人の為にこのような行動が出来るのですから、普段は当然、ご家族を守り大切になさっていたに違いありません。


かと言って決して、自分の家族は誰が守るのだという意見の方々の人間性が劣ると思っている訳ではありません。


比較出来るようなものではありませんから。


要は、他人が自分に置き換える事で、比較めいた空気が生まれてしまうように思ったのです。


それによって、実際には逃げなかった男性のご遺族が傷付いてしまいやしないかと。


とても外の情報を取り入れられるような心身の状態ではないでしょうから、ご覧になる事はないと思いますが。。。


決してそんなつもりではないと思いますが、自分の家族じゃなくてよかったというようなニュアンスが無意識にあるとしたら、それは危険な事だなと。


病気や怪我でも、よく自分ならと何かと例えに出す人はいますが、思いがけない所で傷付いたりするものです。


あくまでも主語は相手。当事者。
というスタンスで話した方がいいと感じる事があります。


逃げて欲しかったと言われれば、逃げずに亡くなってしまった事。


自分の家族は誰が守るのだと言われれば、彼は家族を残して逝ってしまった事。


勇敢な行動が否定されているような気持ちになってしまって。


そんなつもりではないとわかってはいるんですけどね。


いずれにせよ今回の事件で、私は社会全体が、困っている人がいたら勇気を持って助けよう。苦難には協力して立ち向かおう。
それが当たり前の事だ。


という流れに向かってくれる事を願う派です。


そういう世の中になればいいなと思います。


加えると、援護しなかった周りの乗客を責める事はできません。出来ませんが、動画撮影していた人は心底軽蔑します。


そんな事出来る神経が理解出来ません。
人間性を疑います。


目の前で起こっている事が見えていないのでしょうか。


そんな事出来る心の余裕があるなら、すくんで動けないとかじゃなくて身体が自由になるんなら、手当たり次第物を投げるとか、とにかく全力で助けなさいよと思いました。


犯人を刺激するかもという考え方もあるでしょうが、動画撮影だってその可能性はあります。


どこでも取り憑かれたように動画撮影する人がいますが、人として大切なものが欠落していると思います。


そういう人は生き残り、社会正義の意識を高く持った人が命を落とす国であっていいのでしょうかと、怒りが湧いてきます。


こういう点は本気で危機感を抱かなければならないと強く思います。


最低限、男性の目に入っていなかった事を切に願います。


そして説得を試みた車掌さんの声がどうか届いていますように。
味方はいるんだと。


失意の中で亡くなっていったなどという事がありませんように。


今回の男性の行動は本当に勇敢だったと思います。心から敬意を表します。
自分もそうありたいと思います。


最後に、JRや警察は、座席が盾に出来るという周知に力を入れて欲しいです。


手荷物検査云々も課題ではありましょうが、現状出来る事で乗客が知らない事は沢山あると思います。


改めてご冥福をお祈りいたします。