ありがたい事に、仕事が済んだあと、お客様や、時には担当者さんから(笑)お礼のメールや手紙を頂きます。

毎回、もったいないお言葉に、身の引き締まる思いです・・・


皆さま、様々な表現でお伝え下さいますが、

司会者さんのあの表現にとても感動した。
直井さんの一言でスッと楽になった。
言葉の選択が素晴らしく、言葉を使うお仕事っていいなと思いました。
(ちょっと自分で書くと嫌な感じですが・汗、単に事実をお伝えするという意図です)

などと、具体的な部分を挙げられると、本当に涙が出ます。
言葉が指名されているようで。
聞いて下さっているんだな~と、有難くなります。

以前、大盛り上がりのご友人テーブルがあって、私のナレーションをよく聞いて下さっているな、という雰囲気は最初から伝わって来ていた事がありました。

テーブルラウンドの時は、内容によっては、わりとガヤガヤしますが、状況に応じ、ナレーションやフリートークを入れたりします。

その時、結構会場は賑やかだったんですが、私のナレーションに対し、拍手を頂きまして(笑)。
あの時は面白かったですね~。

とにかく、最初からとても盛り上がっていたテーブルだったので、何となく流れでそうなったのでしょうが、思わず私も笑ってしまったというか、恥ずかしくなってしまいました(笑)

後で、お声をかけて頂き、皆さんと記念写真を撮影させて頂きましたが、その時に、同じ趣味である事もわかり、話が弾みました。

その後、そのご披露宴に出席していらした方から、続けて指名を頂きましたので、当然毎回ハードルは上がり(笑)、プレッシャーだったのものです。

元々が大きいご披露宴でしたので、何年かかけて、思えば、結構な人数の皆様にお声をかけて頂きました。

とても良い思い出です。


我々は言葉を扱う仕事です。
勿論、声も大事です。
好みはあるにせよ、最低限、聴きやすいものでなければならないでしょう。


で、この、言葉というものがまた扱いが難しい、という思いを年々強くしています。

まず、適したと思われる言葉を選ぶ。

それもまあ神経は使いますし、センスも問われるところなのでしょうが、

問題は、それを

「自分のものにする」

こと。

この、熟成させるのが、とっても大変だと個人的には思っています。


日常生活においても感じますが、綺麗な言葉であればあるほど、その扱いは難しいと感じます。

しらじらしさという、やっかいなものと闘わなければなりません。

自分のものになっていなかったり、本当にそう思っていなかったりすると、途端に凶器となります。
自分のものになっていないと、ただの「単語」を声に出しているのと変わらないと思っています。

結局は人柄なのかな~。

そうなると、人間として日々精進!という事に尽きるのでしょうが。


仕事をしていても、思う訳ですよ。

お打ち合わせを通して会話してきた事を思い出しながら、出来るだけ違和感なく、自分のものとして喋りたいと。

知識とは、まず知り、使って初めて自分のものになると言いますが、言葉は、使うだけじゃ、まだ自分のものにはならないと思います。

そこに、プラスアルファ何かを乗せないと、人には正しく伝わりにくいものだと感じています。


年々、絶叫や過度な抑揚が苦手になっています(笑)
元々あまり好みませんが、ここ数年は特に顕著です(笑)
そんな年齢になってきたという事かもしれません。

使ったら「まだ」おかしい言葉と、「もう」おかしい言葉があるのと同じで、自分が心地よくいられるスタイル、周囲の方に嫌な気持ちを与えない表現や立ち居振る舞いというものは、変化をしていくのでしょうね。

いつの時代も、自分に合った、違和感のない司会を心掛けていきたいと、ふと思いました。

昨日、良い夢を見たからかなあ(笑)

1週間くらい前は、怖い夢だったけど(笑)